「死んだら終わりなんて間違っても言えない」

名古屋から帰って、「リーダー養成講座」の合宿のため淑徳大学の千葉キャンパスに急行しました。

泊まりは大学の敷地に隣接する大巌寺。朝6時30分から朝のお勤めがありました。宗派は私の家と一緒の浄土宗ということでちょっと安堵。

ご住職の読経のあと、お勤めの最後は講話で締めくくられました。ご住職は、東日本大震災の被災地にも入られたということで後半その話をかなりされました。
メモを取っていたわけではないので正確ではないと思いますが、私の記憶する限りでお話を拾ってみますと、こんな感じです。
「こういう職なので、もともと死とは近くで関わってきたのだけれど、今回は生きることと亡くなることを改めて考えさせられました。」
「生きているうちが花とはよくいうけれど、今回の震災の現場では死んだら終わりなんて間違っても言えないです。」
津波でまわりみんなが亡くなって、例えば家族の中でお父さんと息子だけが残っているという方もいた。亡くなった方も悔しいでしょう。そして残った方もなんで自分だけがと思うこともあるでしょう。そんななかでクオリティ・オブ・デス、死に方とか生きている方も死者との関わりで自分の生き方を考えていくことが大切になっていくのではないでしょうか。」


私は金曜日の「お別れパーティ」のシーンを思い返していました。遺言で、みなさんへのお別れは普通の葬儀ではなく明るいパーティでしたいという指定。その想いをかなえるため、友達が本当に頑張っていました。会場はこれも本人指定で!、彼女が週末よく演奏していた名古屋駅前のラウンジを貸し切って行いましたが、あまりの招待しないとならない方の多さで会は2部制(トータル200人弱ときいてます)。実行委員会の方々は、招待客の特定や普通こんなパーティはありませんからどう演出プランを立てればよいのかなど、なんども悲鳴をあげていました。私は時折相談を受けたものの遠くはなれた関東からでは何もすることもできず、委員のみなさんの苦労をただきいていたので、頭が下がるばかりでした。
結果、当日は音楽仲間の心のこもった素晴らしいライブ。渾身のまとめビデオ。ドラゴンズのキャラを使っての演出、豪華な花の演出など、普通では考えられない素晴らしい構成でした。

そんなパーティ2部の歓談中、彼女のかかりつけの歯医者さんが私を探しに来て、わざわざ声をかけてくれました。「あなたが小松さんですか。よくみのりちゃんから話を聴いていました。ぜひお話がしたいと思っていました」と。
びっくりしました。どうやら悪くは言われていなかったようで、ただ「歯をきれいにしてほしい」とは頼まれていたようです(苦笑)。ただ、彼が私に話にきたのはそれが中心ではなく、メインは「人を支える」という話。歯をさわっていれば体調もわかる。そんな状況の悪い時、私の話を彼女からきいて、どんな気持ちでどう接していたのかいう話をどうやらしたかったようで、、、本当にやさしい歯医者さんで、話の最中にも私に対する気遣いもいただき、本当に恐縮するばかりでした。

どうやら、私のこれからは病気などを含んださまざま困難な状況があるなかで人を支えて行くこと、ここがひとつのテーマになるのではないか。と改めて感じているさなかにこの先生との出会いとこの講話。死せるみのりんが、生きる私を動かしているようです。私は医者でもないし、カウンセラーでも宗教家でもない。でも、私にもきっとできることがあるはず、そんなことを思っています。