9/11

当日、その時間、おそらく私はデジタル事業局の部員として、当時四谷にあった文化放送の地下BS用のスペースにいたと思います。いつもの通り、21時頃、仕事が片づいたと思った頃、なにか周りが騒然としていたので2Fの報道兼生スタジオのスペースに上がって見たら、モニターに飛行機がビルに突っ込むあの画像が流れていました。

ラジオの21時台以降はヤングターゲットの番組。報道は泊まり体制で手薄。ヤング帯の番組の休止が決まっても、その時間帯のディレクターはタレントのケア等で手を離せない。というわけで、居合わせた私は情報パークスタジオの中で、生送出ができるスタッフとして「中D」(テレビ等のフロアディレクターを想像していただければ。アナウンサーの横で原稿を捌いたり、タイムキープをしたりします。)としてそのまま朝3時まで報道特番の生送出をお手伝いしていました。翌朝、アポイントがあり、11時に八王子に行かなくてはならなかったのですが、やたら眠かったということが今でも記憶に残っています。

翌年の9/11私はワシントンにいました。民間放送連盟ラジオ小委員会企画のアメリカラジオ事情視察のツアーで、後半はラジオ業界の大きな展示会がシアトルであり、そのため前半の法規制の調査やXMラジオ(衛星)の視察のためワシントン滞在がたまたま9/11に当たったのです。テレビやラジオを聞いていると、国家や星条旗の露出が目立つなとか街中では多少緊張した様子も見られましたが、むしろ平静に日常を送ろうと努めて冷静にふるまおうとしている人々の姿が印象的でした。(写真はワシントン市内の半旗で掲げられた星条旗


それからいままでに、9/11にNYにいた方とは仕事関連で、お二人にお会いしています。人生観が変わった、転機にせざるをえなかった方、それぞれ人生に大きな影響を与えたできごとだったようです。

あれからもう9年経つのですね。