「現在しか生きられない」
私の家では昨日送り火をしてご先祖様がお帰りになりました。
いよいよ夏も後半戦ですね。といってもまだまだ暑い日が続きます。みなさんご自愛ください。
暑くてついつい部屋でうとうと・・・、朝はたと起き上がって読んだ本を今日はご紹介。堀井憲一郎著「いつだって大変な時代」 (講談社現代新書)。
私が共感できたのは第8章「いつだって普通の時代」のPP202-204。
こういうものの考え方というのは、歴史観とか、思考する方法とかではなく、もっと動物的な根本のもの、生きていくうえで何を楽しみに生きているのか、という、そういう単純なレベルで人は分かれているだけなのだ。つまり晴れているだけで嬉しくなって外に駆け出せる大人であるとか、腹いっぱい飯をくっただけで半日幸せに暮らせるとか、そういうプラスの部分と、タフな状況に置かれたときにどう反応するかという鍛えられようの両面をどう持っているかによって、ものの考え方が規定されてくる、というだけなのだ。
(中略)
われわれは常に現在しか生きられない。現在しか見られない。過去を見ているつもりであっても現在の投影でしかなく、特に未来についてなぞ、何も見られないしリアルに想像できない。現在を生きてるということは、現在を生きてるとしか言うべきではなく、そこで、ずらして、大変な時代だ、という必要はない、ということだ。いつだって、いまの状態をそのまま前に進めようとしたら、大変に決まってる。大変な時代だとおもえることは、きちんと生きてるんだな、という証明でしかないのだ。
別に悲観も楽観もしなくても、普通に生きていれば明日は来る。あんまり大変だと思わずに、今日も肩の力を抜いて暮らしていきましょ。
この本は新聞の書評と、大村さんのfacebookで知りました。大村さんありがとう!